202607 【後悔先に立たず】
齢50にしてもう少し上手く立ち回れなかったのかなと思うこともすこーしだけ。
その時にそう思えれば、少しは違ったかも。それは今なのかな。
人は変わらない、変わるのは自分だと耳にします。
そのきっかけの話どんなに核心に触れるものであっても、いつ、どのように、そして聞き手の方でも聞く準備、心づもりが無いと、ただ聞き流して終わってしまう。
健やかに穏やかな人生を送りたいと思うも、定年年齢が上がって、体が動く間は働き続けろとでもいうような環境と感じるこの頃。
勤労は美徳。
文化や宗教が違えば、労働は罰ともいわれるそうです。
正確には労働には苦しみもあるが受容しなさい。
その恵みや喜びを感じることに感謝をしなさいとか。
そんな意味なのかなとは思いますが。
人生の大半が仕事であることに大きな違いは無いと思います。
遊んで暮らせる人もあろうが、貯えや運用の仕方がわからなければ、いつかは枯渇。
天職とは何ぞやときになるところですが、仕事に喜びを感じられる人は幸せなのかも。
天職とは言えずとも、労働=質の高い時間に
【やらなかった後悔よりした後悔】
苦労はしたけれど子どもを成人まで育て上げた。
より良い教育を受けさせた。(自己犠牲)
その後(10年後や退職後)に、○○をやっておけば良かった。の後悔はないだろうか?
先にも言いましたが、定年年齢が上がっています。
まだ体の自由が利く間にやれることは何があるのか。
年を取ったあとでは、やり直しがきかない後悔になり得る。
・嫁にもっと気にかけていれば、、。
食い違いはあろうが、家族の幸せが自分の喜びになるのであれば。相手方がこれで十分とは言ってもまた違う、喜んだ顔を見ることが出来るかもしれない。
・自分のために他に何か、、。
基本、自己満足でも良いのかもと思うが社会性があっての満足ですので、他人の人権を無視してはいけない。
仕事が疎かになっても困るが、やれることはやったという満足
本気で挑戦できたこと、やり切れたと思うこと
無駄だからやらない方が良いとは絶対に言わない
家族と言う社会、理解と協力があるのであれば出来る範囲で挑戦も(自分の話)
例えば二種免許
労働時間の抑制が叫ばれている=自由な時間に老後の備え
結果の保証が無いと心配→働き詰めで退職後に何も残っていない
毎日を精いっぱい生きる
やることはやった。でもダメだった。
結果は決まっていたのかもしれないけれど、でもそのための選択と行動はした
しなかった後悔ではない=諦めとは違い清々しさ。
できない理由ではなく、どうすればできるかな?
そんな心境にない、もう満足であるというのなら現状を維持するために自分の立場を危うくする事故が無いよう、経験、危険感受力を生かして予防運転に努めてください。
この会社がいつまでも残るように、退職後、孫の手を引いて散歩中。
会社のトラックが通り過ぎたときにジィジのいた会社だよと言えるように。
どうぞ今月もご安全に。







