2021.4働き方いろいろ 石油ローリーの満足とは?

 

2021.04

働き方色々 石油タンクローリーの満足とは?
https://youtu.be/J8CUv7RE_j8

 

始めます。

4月になりました。

今年の繁忙期も大変お疲れ様でした。

夜も明けない深夜の時間帯から製油所に向かう毎日でしたが、交通事故、漏洩事故なく終えられたことに深く感謝いたします。

事故はなかったけれど我々は運輸交通業のなかでも石油と大型トラックを取り扱う危険と隣り合わせの職業ですから、化学工場や医療関係者も危険な職業ではありますけどちょっとした油断が大きな事故にもつながりかねない、常に神経を使う大変な仕事であることを今一度意識をすることが必要です。

繁忙期を終えた途端にちょっとしたうっかりミスから事故につながるといったものが業界内では散見されます。

人ですから何時でも完ぺきにとはいかないものですが、危険な状況に慣れてしまうこと、軽んじてしまうことが( `・∀・´)ノヨロシクない。

 

そうであっても、今期の繁忙期に交通事故ゼロ、漏洩、混油事故ゼロで終えられたことは一般人からしたら当たり前のことかもしれないけれど、その当たり前のことをちゃんとやれていたという我々の成果は素晴らしいことだと胸を張って良いと思うのです。

事故無く荷役走行することは当たり前のことじゃないか!と期待されたことが出来なかったことで、不幸な交通事故や、荷役事故を惹起してしまったということは、被害を受けられた方、損害を受けた関係者様からすると、どんな理由があっても容認することは難しい。

仮に自分が被害を受ける側だったとしたら、あーいいんだよ、次から気を付けてね。で済ますことが出来ないと思うんですよね。

自分の大切な家族や会社が、決して誠実であったとは言い難い振る舞いをする人によって侵害されてしまったというときに穏やかな気持ちでいられるかと考えてみてください。

 

ちゃんとというのが、人によって受け取り方が違うよというのは、別の話でも少しだけ伝えていますが、このちゃんとの認識が難しいのですよね。

こっちのちゃんとと、あっちのちゃんとは感じ方が違うものですから。

この「当たり前のことをちゃんとやったのか?」のちゃんとは、契約上の最低限のちゃんと。

「ちゃんとやったのに評価が薄いよ~」というときのちゃんとは、提供を受けた側が喜んでくれる、付加価値のある、顧客満足が得られるちゃんと。

ちゃんと、の提供は我々の仕事ですが、相手方が受けたちゃんとした仕事に対する評価は相手が決めることです。(課題の分離)

契約上のちゃんとでもOKなんだけど、顧客満足のちゃんとも求めたい。

このくらいでいいのだよ~という加減は提供する我々一人ひとりの意識(個)によっても違いますが、我々の提供で最低限のちゃんとも当然にやるのだけど、さらに付加価値のあるちゃんも提供をして、顧客の満足を得よう、再び注文が来るように。引き続き注文の来ることが決して当たり前のことなのだと思わないで謙虚に誠実でいようという驕り、怠慢は無い考え方です。

 

顧客満足を得る目的でする提供とは、自分本位ではなくて、お客の立場、相手の立場になって何を期待しているのか、喜んでもらえるのか、ありがとうと思ってもらえるのか?

といった経験則から予想をして振舞うことがとても大切。

繁忙期も終えて、これから業界では昼間から何台ものローリーが止まっているという会社が出てくるのに、なんか変な運転手が来ちゃったな!と思われちゃってお客さんにそっぽを向かれるということは、次回注文をするときに、お声がかからなくなるかもしれない。

この会社を敬遠されてしまうかもしれない。

この会社に注文が入らなくなるということは、自分の仕事が減っていくということになるわけです。

 

その苦情というものが、行為をした私個人に対して来たとはならなくても、この運送会社が!と思われてしまえば、個人では無く、同僚全員の仕事が相対的に減ることを意味します。

ただでさえ、人口が減って日本全体での消費もエンドユーザー様も減ってきているよ。という現実を、冬になったら当然に忙しくなるのだから、知ったことではないという無責任な考え方、振る舞いが周りに与える影響や結果を充分に参酌して、どのように行動すべきなのか?どのようにしたら喜んでもらえるのか?

という考え方に注力をしてみましょう。

 

適切な服装と言葉使いで丁寧に振舞うことが顧客の満足を追求することだーという人もいれば、特定の時間に期待された時間内で製品を引きわたせる技術の提供、これが最優先なんだーというお客さんもいると思います。

みんな違いますから、多様性がありますので、提供の仕方が皆違うように、得手不得手があるように受け取り手の感じ方も皆違います。

ですが、一定の最低基準のちゃんとした提供のための、ここまではやってよというマニュアルもありますから、単独で積み込み、荷下ろしをすることができる、ここまでやってよという安心安全な作業の提供+αをお願いします。

 

 

横着をせずに降ろし場では吸着マットで養生をする。消火器を出す。油種切り替え時の滞油処理を適切にする。

これらをスマートに見ている人が気持ち良くなるように、テキパキとでも丁寧に。

そして、我々の経験則を使った理想としては双方向の満足(過剰なサービスの提供の是非)なのですが、お客様の満足を得られる提供を選択することが我々の課題なのだーと意識して業務に取り組みましょう。

 

春からは、冬とは違って働き方が変わっていきます。

早く帰ろうと思えば、幾らでも早く終えられます。

一人一人が、お客様も自分も満足できるように、さらに言えば会社も満足できるように、自分が会社を経営しているのだといった気持ちで業務上発生、支出するお金のこと、仕事への考え方や取り組み方、自分にできる技術に関して誠実に取り組んで欲しいと思います。

 

経験則で蓋然性は高められるか?という問題があります。

高めよう、実現させようと思えることで、どうすればよいのかという検討をすることになる。そして、それを繰り返すことで蓋然性を高めることになっていく。

 

各工程の頭文字を使ってPDCAサイクルと呼ぶ検討方法が世の中では展開されています。

PDCAとは計画のP(plan)

行動・実行D(do)

検証・評価C(check)

実践・改善A(action)一連の工程です。

 

そもそも、PDCAに取り組むことを「選択する」の次には、より有効な行動をすることを選択し、計画、行動をし、検証、改善を行う。

こういった方法の選択検討をすることで蓋然性は必然、高まります。

 

「そういうことを考えるのが事務所だろっ」て思う人もいるでしょうが、「やりなさいよー」と口で言うのは簡単でも、仕事とはいえ納得も出来ずに強制、強要されてることが如何に非効率であるかは身をもって知っていますので、「指示された方が楽だよ。」「考えるのが苦手だよ。」という人は言ってください。

「こうして」、「ああして」とこちらから注文をします。

注文に対して、難しいよーと感じて、「もっと他にもなーい?」と問いをする。

この問答もPDCAサイクルで言うところのP(プラン=計画)とC(チェック=検証、評価)です。

どうやればいいのって聞きにくることも、労働契約上の最低限の決まりは当然に守ってもらいますが、俺はこれくらいでいいのだよという仕事への取り組み方を検討して選択をしたり、そうじゃないのだ、まずは家族の安定という満足を得るために、この仕事に取り組んで、その延長線上に自己満足や自己成長があるのだという考え方、選択もあります。

(自分≦家族の安定)

人は一人では生きていけない-集団-誠実-信頼-ありがとう-貢献-集団の中で必要とされている事の実感、所属感-自分の喜び-私たちの喜び。

私にできる集団の中での誠実な態度、取り組む姿、こういったものは言葉では出てこなかったとしても集団の中での同僚、仲間は見ています。

 

もう、この時期は花粉も飛んで、それどころではないよーという人もいると思いますので、安全に、できる範囲で、決して無理はせず、折角の頑張りが不本意な結末にならないように事故にも、健康にも気を付けて頑張っていきましょう。

 

一日に10時間や12時間と乗務をする我々の日常は、仕事に生きていると言っても過言ではないほどに仕事がウェイトを占めています。

どうせやる仕事なのであれば、前向きにしましょうよ。

もうすでに20年、これから20年と続けていくとき、嫌だ嫌だ、つまらないといった感情で過ごすことは自分の生き方そのものをつまらないものにしているという考え方。

家族のいる人は、「うちの主人は、うちの父ちゃんは、毎日つまらないと思って働きに行っているのか・・」

本人からしたら、「俺は家族のためにこんなにつまらない生き方を強いられているのだ、なんて不幸なのだ」と思っていたら、自分、私は幸せではない=人は一人では生きていけない-集団-誠実-信頼-ありがとう-貢献-集団の中で必要とされている事の実感、所属感-自分の喜び-私たちの喜び。にはなれないですよ。

 

たった一度の人生で、やり直すことなんてなかなかできない。

やり直すことも出来るけど、それは今までの自分の生き方を否定をしたり、今ある環境を捨てることにもなりかねない。

変わることに対する不安が付いてくる。

変わらない不満をいつまでも持ち続けるよりは、日常に変化が伴うけれど、変えるという勇ましい気持ちがあれば、考え方、取り組み方、周りの信頼は変わるでしょ。

人はその集団の中で仕事に対する誠実な態度が信頼の基準となるわけだから、職業を変えるというのではなく、仕事に対して誠実に取り組むという気持ちと、自己成長するための職場であると考えて振舞ってみる。

あえて嫌われろとは言いませんが、人は人、自分は自分。

自分を守るのは自分なんだということも認識して取り組んでもらえたらと思います。

やってみよう、取り組んでみようと強く思う事。

なれたら、いいなぁという思いでは弱いかもしれないから、何があっても揺るがない強い気持ち。

今感じている素直な気持ちは、決して強制されているわけではない。

充実した気持ちで仕事に取り組めるように、「人に感謝されたい、ありがとう、流石だね、安心だね。と信頼されたい」

ならば、誠実に取り組んでみる。

最初の一行動が大切。

起床、起きるところなのか、会社に来て第一声のおはようなのか、アクセルを踏みだす瞬間なのか人それぞれですけど、起点になる最初の行動がうまくいかないと、ずるずるとなることが多いですが、それでも、やらないよりはやったほうがいい。

結果も大切だけど、自己成長としてでも、承認されたい、信頼されたいでも良いです。取り組んでいるということも十分尊いことですから。

 

いやだいやだと思いながら、一日の大半を過ごすのではなくて、前向きにポジティブに、私のする仕事は誰もができる仕事ではない。

知識と経験に基づいて生産性良く効率的に、さらに言えば会社や同僚の利益になるような尊い仕事、提供することに誠実に取り組んでいただきたいと思います。