2021.06プロ意識≠一般との差異    

https://youtu.be/dnYaQqaprUA

 

*公道を運転するための免許証制度

東京都の緊急事態宣言や蔓延防止といった対策のある中であっても週末の千葉県内や、その他の主要道路において随分と交通量が増えてきました。

また、これから梅雨を迎えるにあたって、路面のコンディションが決して良いとは言えない状況も想定されます。

我々職業ドライバーが業務において公道を走るときは、いろいろな人と道路を共有することとなりますが、交通状況、道路状況は常に変わっていきます。

走る車すべてがトラックなのではなく、乗用車や観光バスなどいくつかの種類に分類され、道路交通法と呼ばれるほぼ同じルールの下で走行しています。

日曜日にしか車を使わない人という意味合いで、サンデードライバーという言葉を耳にしますが、職業ドライバーであっても、サンデードライバーであっても運転免許証を取得する際には運転免許センターなどで、運転する技術と知識があることを証明して運転免許証の交付を受けます。

この運転免許証を簡単に考えれば、これをもっていない人は運転をしてはいけない。

運転することを禁止されている。ということが理解できるかと思います。

 

免許センターは各都道府県公安委員会の管轄ですが、法令の委任というものを受けて、都道府県警察本部交通部が行っています。

教習所で訓練をさせ、且つ学科試験も受けさせて、若しくは、免許センターで安全にそして適切に扱うことができることの実演、証明をすることで、運転免許証の交付し、『運転の禁止』を『運転の許可』とする効果が得られます。

もともと自由である我々国民の行動を制限して許可のある者以外には運転を禁止しているのは、車の運転が出来ることは、とても便利なもので経済や国民の利便性を高めることができるのだけど、不適切な車の運転が人に危害を加える恐れのある危険な行為になり得るので、国民に最低限の義務を付して、安全に走行することができるようにするものです。

免許センターを通じて、職業ドライバーもサンデードライバーも同じ試験を受けたということになります。

言い換えれば、運転免許証を持っている人は最低限の運転の技術と知識を有していえ、免許証の交付時点において、国が期待する最低限の義務を背負える能力があったと言えます。

・『運転をする』という権利を行使するなら、義務を守りなさい。

・その技術があることの証明として免許証を持たせますよ。

・運転するときは携帯していてくださいね。

・運転する技術の証明はされているから、それをしなかった(故意)、できなかった(不可抗力or過失)、うっかりして忘れていた(過失)ときには、義務を果たせていないことへの制裁(実行性の確保・行政罰、刑事罰・民亊における損害賠償)がありますよという約束(法令・ルール・契約)を取り付けます。

権利がある反面、義務もあるし、義務を守れなかったときには責任を負ってもらいますよ。というものです。

 

*凡庸表記としてのプロとは?

ここまでは運転免許証を持っている人という一つのくくりの中での話です。

凡庸表記された『プロ』野球選手や『プロ』ゴルファーの他に、プロフェッションと表現されるときもありますが、プルフェッションといった言葉をググると、特殊な教育、訓練によって習得した特殊な技能を個々の依頼者からされる要求に応じて社会全体の利益に尽くす職業であると出てきます。

社会全体の利益に尽くすということが社会全体への献身、貢献といったものであると捉えたとき、厳格にプロフェッションと、凡庸とした表現のプロが同一かという問題がありますが、大きい括りの中では、確かに『特殊な教育』、『訓練』、『特殊な技能』、『要求に応じて社会全体の利益に尽くす職業』であるといっても良いのではないかと思います。

 

*専門的職業=プロである。

職業ドライバー(プロ)は運転をすることで利益を受けます。

より高度な、より専門的というとプロのレーサーにまで飛躍するかもしれませんが、普通の人が普通にやっていては身につかない技術という意味で、大型車両の運転をすることを職業として、運転する技術を訓練し、危険物の取扱に関する特殊な教育を受け、習得し、依頼者からの要求に応じて社会全体の利益に尽くす職業であろうとする我々は、プロであるといって差し支えないと考えます。

皆さんの中にはどんなところでも車を入れられるよ。と思っている人もいるかと思います。

私だって、昔はどこでも納入できると思っていました。

特にトイレに行きたいときの狭いパーキング。

そういう時は特に神懸って、駐車位置に止めることができる。

停めた後にきれいに嵌っているなと感心することもありました。

10mも12mもある車を限られたスペースに自分の手足のように器用に着車させる技術、危険物を安全に荷扱いする知識は特殊な技能であると言ってよいかと思うのです。

 

 

 

 

 

冒頭の、職業=プロと一般ドライバーとは運転の仕方にどのような差があるのかを考えてみると、技術(量)と気持ちの問題(倫理観)に大別できるかと思います。

 

*技術については免許証の種類(普通、中型、大型、牽引)

経験(総運転時間・ヒヤリハットしたこと)

情報(事故、ヒヤリとした情報の共有)

を知識として蓄えています。

 

*一般的な倫理観は・・・

気持ちの問題(倫理観)で、免許を受けて運転をする人という一般的な倫理観では、

人として守らなければならないもの。

道徳の規範となる原理。(道徳は時代によって価値観が異なる)

交通ルール・法令遵守。

人に迷惑をかけない。(モラル)

 

*プロドライバーの職業倫理は・・・

特定の職業人として執務する上で、規範となる原理

誠実(社会を形成している)であることに変わりはないが、普通の倫理を超えたもの。

プロらしい振舞い。

一般の人が気づかないことも予想できる。

危険に対する感受力が高い。

感情のコントロールが必要。

こうあるべきという規範が確立されている。若しくは確立されつつある。

 

仕事とは別に遊ぶための運転や買い物に行く手段としての運転であっても、『他人の生命、財産に危害を加える恐れのある行為を反復継続する意思で行うときは高い注意義務が必要になる』と言いました。

これは変わりません。

業務上の高い注意義務と言いますが、この業務とは職業としての業務に限らず、単なる買い物であっても運転をすることで利益を受ける人なのであれば、他人の生命・財産に危害を加える恐れのある行為を反復継続する意思をもって行う人なのであるから、高い注意義務を払いなさい。なのです。

ただ、移動するための手段、遊ぶための手段よりも自分の生活に直結する職業として、利益を得る目的の運転では、受ける利益も大きいのだから、責任も大きくなるとされています。

職業として運転をすることで利益を受けるのだから、一般のドライバーよりも『特殊な教育』、『訓練』、『特殊な技能』、『要求に応じて社会全体の利益に尽くす職業』として経験を積み、より高度な技術を習得し安全に走行すべきだという社会からの期待の表れと言えるかもしれません。

 

先述の厳密なプロフェッションとプロドライバーではプロという語句の使い方に疑義があることについては他の人に預けるとして、より凡庸性のあるプロという語を用いたプロドライバーにもプロフェッションの概念にある特殊な教育、訓練によって習得した特殊な技能を個々の依頼者からされる要求に応じて社会全体の利益に尽くす。十分に社会全体への利益に関与しているのだから、私は単なる職業ドライバーであるという区別をするのではなく、専門職として、プロドライバーとしてどうあるべきかという職業倫理について検討を巡らせてみたいと思い至りました。

倫理観というと難しく感じてしまいますが、運転をしているときの我々と一般ドライバーとでは、視点、行動、考え方(倫理)ではどのように違うのかを事前に検討をすることで、行動とか結果が変わると考えます。

こんなことは当たり前だよと思うことも、我々も最初は若葉マークを付けた運転歴一年生の時もあったわけですから、一般ドライバーからマウントを取るつもりというのではなく、自分にもこういうときがあったなと。

昔を思い出しながら、プロとしてこうあるべき、こうした方がスマートだ。

プロとしてふさわしい。

今持っている知識は、職業上の経験によって培ってきたものであるのだから、一般ドライバーの人には知る機会が無かった。

経験をすることが無かっただろうという認識で予防運転に努め、不幸な事故をゼロにするという意識や心構えが、社会全体の利益に尽くすことになると思うわけです。

 

以下に例としていくつか列挙しますが、我々と一般ドライバーとの認識の違いについて、紙ファイル最終ページのコメント欄に皆さんが考える認識の違いについて列挙してもらえたらと思います。

 

・一般ドライバーの特徴として・・

・不慣れな人は地図の見方もわからない。

・行楽地に行くにもナビが無いといけない。高速道路を使わないと辿り着けない

・慣れの問題がある。

上記の理由から我々と他者との関係では・・

・高速走行中の分岐点前での洞察、危険予知が必要である。

(渋滞の誘発に繋がることは別の問題として)

・そして我々にも慣れの問題もある。etc

 

モラルとか、人の感じ方ということで一つお話を挟みますが、昔、職業としてローリーを考えたときに、あの大きなローリーを深夜の時間帯に国道16号を走らせる自分が想像できませんでした。

でも実際にご縁があって働いてみると、不思議なもので、当たり前に乗れるようになることで、当時の緊張感や威圧感という意識が薄れてしまう。

まさしく『慣れ』の問題ですね。

だからこそ、あんな大きい車が、あんな速さで走っていて怖いなと感じた初心を忘れずに、乗ったことのない人からしたら、ローリーなんて車は家程に大きく感じるものだと。

そんな大きな車がぴったりと付いてくる。

直ぐそばを追い抜いていく、追い越していくことをどう感じるか?

車両の大きさと視点の位置が違うこと

追走する車両のボンネットの有無。

バックミラーからの景色。

こどものころに見上げるほど大きかったものが、大人になったら、あっ、こんなものかと感じるように視点の位置で印象が随分と変わることもあると自覚して、車間距離の取り方、追い抜き時の車線変更をするタイミング(車線への戻り方)について考えてみる。

方向指示器の点滅時間

(周知のための時間なのであるから3秒を確実に上回るように点滅させる)

結果的に割り込みをしたという言いがかりに対する事前の予防的行動

発進時の車両の周囲確認。

いたずらの防止。

パンク等の発見。

ホースボックスの老朽化の把握。

うっかりとした忘れものの発見。

油種ピンチがついたまま。

消火器の収納忘れ。(缶ジュースをもらったとき)

アースコードが未収納(空曹確認時にはアースされているべき)

以前に車庫でやったことがありますが、歯止めをしたまま発進すると歯止めを乗り越えるのではなくて、横に吹っ飛ぶんですよ。

 

5.6年くらい前かな?

製油所の方からの申し出で、構内ルールを作ると言って、とある千種海岸にある製油所で、伝票発行時にも歯止めをしようという話が上がったことがあったのですが、危ない、ダメだと固辞しました。

歯止めの習慣がない人がいたときに半ば強制的に歯止めの設置を行い、伝票発行ののちに慌てて運転席につく。

歯止めの収納を忘れる。

歯止め一個だけであっても直撃したら大怪我しますよ。

歯止めどうしをロープで結んでいますから、早々遠くには飛ばないかもしれませんが、冬場なんかは特に、暗闇の中で歯止めが飛んでくる可能性を考えると労働災害になることが十分に予想されたので、やめた方が良いと意見をさせてもらいました。

 

先ほど、道徳の価値観は時代で変わると言いましたが、職業ドライバーのした事故や非難というのは、今の時代は鬼の首を取ったかのようなニュースにもなり得ます。

我々の職業で褒められることは決して多くはありませんが、不名誉なことは簡単にメディアに露出することになります。

今の職業ドライバーは大変です。

カメラ付きの携帯電話が普及している今の時代は、作為的に一場面だけと取り出して、終始不誠実な運転をしていると動画投稿をすることも可能です。

興味本位にバズらせる目的で撮影する輩がいないとも限らないのですから、敢えて煽るといった短絡的な行動をすることは厳に、そうでなくても付け入る隙を見せることが不本意な結末になり得ることも考えると、『誠実であって普通の倫理を超えたもの』という職業としてのモラル、振舞いに真摯に取り組む必要がある時代なのかなと思うのでした