2021.11

明日は我が身 自分だったらどうなるのかを詳細に

https://youtu.be/wCmHlpTX9x8

贖いの日々を配布したけれど、皆さんと一緒に朗読会は開催していません

 

実際に発生した事故を寄稿されてはいるけれど、これは私のことではない。

自分だけは当てはまらない。

こういった文言が多くありませんでしたか?

 

絶対ではないけれど、所詮、他人事であるとして聞き流してしまう人と、明日は我が身として真摯に捉えて、自分を振り返れる人とではリスクが断然違ってくると思われますが、四六時中、事故のことばかり考えていたのでは、気分が滅入ってしまいますから、適度な緊張を持ちながら、瞬間瞬間、本当にいいのかなと考える習慣をつけることで、大きな差になるのではないかと考えます。

 

会社の立場から、絶対にやりなさーいと指示をしたところで、うわの空で聞いてしまっていたら、意識の上をファーと言葉が行きかうかのように、全然自分の気持ちの中に入ってい来ないということが往々にあります。

事故が起きたときに、どう知ってそうなってしまったの?と聞いても機械じゃないんだから、そりゃ事故も起きるだろう。で片付けるのではなくて、起こそうとして起こした事故ではないけれど、起こした事故によって自分がどのような状況に置かれるのか?

もちろん被害にあわれた方とそのご家族のことにも十分に謝罪の気持ちをもって考えることが必要ですが、自分がした事故によって自分の家族にも、少なからず影響があるというこにも考えを巡らせて置かないと、自分本位な運転という軽率な行動を選択してしまうことが往々にあります。

 

被害者の方、そのご家族、自分の家族、自分の勤めている会社にどういったことが起こり得るのかを詳細に検討をして、事故を起こさないために本当にこれでいいのか?といった習慣付けになるようにこの時間を使いたいと思います。

こうしようああしようと思っていたのに、なぜか叶わずに違う行動を選択してしまうのは、どういうことかと考察すると、習慣化されていないがためにうっかりと忘れてしまうということが考えられます。

では、いかに習慣付けるべきかと考察すると、自分の仕事に誇りを持つことや、自分のいる職場環境に満足を覚えること、家庭といった生活環境、そこの構成員たちを大切に思うことなどが考えられるが、どうでしょう?

満足いかない環境だと短絡的に考えだけではなくて、この時代、この地域、この職種で働いている同僚(仲間たち)も大切だと気付くこと、考えることはどうでしょうか?

自分のことだけではなくて、仲間、同僚、家族といった自分の影響を受けるごく近しい人物がいることを忘れずに、具体的に思い浮かべてみましょうよ。

人としてこの世に生まれて、数十年。

定年や家族の介護といった諸事情によっては、後何十年と同じ仕事ができるとは言い切れませんが、たったの300年も前に産まれていたら、今の石油配送という仕事は無かったわけで、どんな職業で生計をしようとも構わないこの時代に同じ職業を選んだ気の遠くなるほどのわずかなご縁で働いている同じ志をもっている仲間たち。

その仲間たちの生活をも脅かす可能性があることにも考えを巡らせていけば、自分本位な行動の選択が如何に多くの人達にも影響を与えるのかの詳細にも考えを巡らせることができるのではなないでしょうか。

 

 

確かに日本の交通事故死亡者は年々減少しています。

現在では  2千人台まで減ってきて、死亡人数としては自殺者の方が断然多いといった環境ですが、それでも尊い命が交通事故によって失われていることは軽視することではありません。

自分が被害者だった時にしょうがないよねと思えるものだろうか?

大切な自分の家族が被害にあったときに、もっと気を付けなきゃダメじゃないかと遺影に向かって言うだけで納得がいくのか?

 

寄稿された方は事故を起こした人です。

矯正プログラムとして寄稿をしていたとしても、執筆をすることで自分と同じ体験をして欲しくないと考えてのメッセージであると受け取りましょう。

職場は違うかもしれないけれど、同じ時代に似たような職業を選択した、自分と似た環境にいた人たちが、どうして交通刑務所の中に入所することになったのか?

似た職業だということは、生活サイクルも似ているということです。

自分は大丈夫と考えていても、ハンドルを握る時間が長い我々は、安全に対する認識が通常人よりも高い、経験があるは言っても、それをもって何時いかなる時も危険予知能力を全開にして仕事ができているとは言い切れないですよね。

ついうっかり、ぼーっとして、疲れていて、大雨で視界が著しく悪くなっていて、注視していたけれど、ホワイトアウト状態から急にヒトが飛び出してきた。車が飛び出してきた。

注意していても防げるような状況ではなかった。

早々、視界が悪いという理由だけで、路肩に停車をすることはなかなか無い。

後続車両が通り抜けするほどの幅員がない。

有ったとしても、視界不良の中で停車車両があったら事故を誘発しているとも言いかねませんから。

様々な事情のもと、事故を起こした後に発生することを予想するにあたって、大きく4つに分けて考えてみたい。

 

①     会社

②     自分

③     被害者

④     家族

 

簡潔に①会社は、本人が禁固若しくは懲役に相当する事故であった場合には懲戒解雇になることが多いかと思われます。

わが社の就業規則でも、刑事事件に関与して起訴されたとき。は解雇事由になります。

 

②自分はどうなるか?

警察署にて留置される。〇〇時間。弁護士のみ

逃亡の恐れ、云々でさらに〇〇日。家族可能

釈放が無かったときは、裁判中には拘置所。

判決後は刑務所に服役。

 

③本来は最初に挙げるべき対象ではありましたが、敢えて3番目。

入院、通院をされているならば、当然に見舞いに行くべきことと思われます。

ご家族が。

不幸にもお亡くなりになってしまっていたときは、葬儀に参列できない可能性もあります。

参列を拒否されるかもしませんが、その交渉はやはり自分のご家族がするものと思われます。

 

④自分の家族。

③に続きますが、忙しいからといった理由で、被害者さんへの見舞いに行かないということは無いのかなと。

仮に見舞わないと言うことがあるときは、示談の交渉が困難になるでしょうし、裁判にまで進んだ時に被害者さんからの処罰感情が和らぐということも期待できないのかなと。

 

軽微な人身事故を除く重大な死傷事故を起こしたときにはざっと考えてみても、これらのことが予想されます。

 

また、刑事罰といった処罰が終えたからと言って、民事上の損害賠償。

この場合は、モノに対する損害賠償、人の精神に危害を加えた慰謝料、遺失利益へ賠償と懲役、禁固刑を満了することができたとしても、示談金と賠償金、見舞金の違いについてお話をしたけど、別に金銭による賠償が残っていることを忘れてはいけません。

 

 

⑤     は今後の就職です。

刑事、民事での紛争ののちに行政罰による運転免許証への減点、過料等についても終えた後に日常の生活に戻らなくてはなりません。

この京葉コンビナート周辺で生活の基盤を築いてきた人からすると、石油関連の仕事から遠く離れて就活をすることは中々諦めがつかないかと思います。

実際、自分も体調不良による退職の後に就業するために選んだ職種は、まず先に運転職でした。

「ハンドルを握っている時間は一人である」という環境は、通常よりもかなり早寝早起き。

早起きというよりも深夜の時間帯に起きて仕事を始めているわけですが、そういった人が嫌がる仕事といった半面、運転することに喜び、貢献に対する実感、幸福感が得られる人からしたら天職であると言っても過言ではないかと。

就中、こういった地域では地域に合わせた産業が発展しているわけですから、それに関連した資格、この場合で言うと危険物取扱者とか、大型運転免許証とかをお掛けをかけて取得してきたわけですよね。

10年で一人前と言われることもありますが、一つの職業を何十年としてきた実績、経験をただ一度の事故で使えなくなるかもしれないという危険性、不安定さは楽観していていいものではないと断言できます。

我が家に子がいたら、扶養する親がいたら、と思うと、さらに困難であったと予想が出来ます。

たまたま自分がお世話になった会社に、事務員が定着しづらい、後進が育っていなかったという事情で、再就職をすることが叶いましたが、石油ローリーの運転を経験してきた。

ガソリンスタンドにも10年勤めていたという実績があっても、新しく仕事を覚えることは大変でした。

今だから、頑張ればなんとかなる。などと言えてはいますが、今、また同じ環境からスタートとしてみなさいと言われても、今までにした苦労が先に思い浮かんで、また是非やりたいとは思えないかもしれません。

今は、なんとかやっていますが、再就職した当時、上司が今の社長ではなかったら、同じく同僚がいたとしたら、きっとかわいがられるのはもう一方の方で、自分は疎まれたりするんだろうなと思い返したりしてしまいます。

縁故で再就職が出来たとしても、縁故の力だけで胡坐をかいていていいよとは、なかなかならないでしょうから、御縁なく就職した者と比べても期待を裏切れない分窮屈に感じるかもしれません。

また、運転職での就職が叶ったとして、運転経歴証明の取り寄せなどで、自身のした事故の事実については、遠くないうちに白日にさらされます。

運転職としての経歴詐称とは、学歴詐称も非難はされるとしても、なお重要なのは、運転経歴なのだと思います。

 

事故を起こす危険性のある運転手をそうやすやすと雇用するのか。

また雇用するとしても、安定された正規社員としての身分が約束されているのかも甚だ疑問です。

 

運転職が悪いと言っているのではないです。

他の危険性があるという話です。

どんなに誠実に仕事をしていても、所見の人からしたらそれが全てに見えてしまいます。

皆さんも同僚を庇い立てして、擁護の言葉を使う人がありますが、その時に反省の弁が出るのは当たり前なのであって、改悛が見込まれると容易に信じるのではなくて、いつでも解雇ができる様な不安定な職位での雇用に留まる。

若しくは詐称があったとして解雇されることも十分に考えられます。

 

気が付かない、考えが足りないといった、新人が逆立ちしてもできない仕事であっても、経験を持った人が堂々と働けないのであれば、みじめな思いをするのかもしれません。

 

なんでやる必要があるのか知ってての事故では、弁解が叶わないこともあるのでしょうが、瞬間瞬間の「こうなるんだよね」「こうしてしまったら、今の自分がなくなってしまうんだよね」という危機感があると、高度な仕事内容になります。

私たちの分業の目的に二義的報酬の対価が挙げられますが、一義的な集団社会の中での広範囲にわたるエネルギー供給という価値ある技術の提供は、集団社会での価値ある尊い貢献になります。

EUでの政治的影響からドライバー不足が発生しているとニュースでありましたが、地震大国の日本では、パイプラインの老朽化を考えると陸路でのエネルギー供給が無くなるとも思えない。

いつか、石炭から、石油になったように、ガスや電気というエネルギーに代替えされることはあっても、それに伴う新しい仕事は出来る。

また外国人労働者問題も懸念されるが、「技人国」の中にトラックドライバーは含まれないと聞いた気がします。

大学で学業を納めた外国人労働者が我が国で台頭するには、ドライバーの高齢化、インフレが無いと難しいのかなと。

 

国の政策に左右される我々でも、近年では政治に参加することが認められています。

自分の生活環境を守るためにも、積極的に政治を意識する必要もあろうかと思います。

誰に投票したかとかは問いません。

自分の一票を政治に投げかけることが出来る今という時代に感謝しつつ、参加してほしいなぁと思います。

尊い仕事である自覚と振る舞い。

優れた経験があってもひとたび死傷事故があれば、禁固、懲役、世論、メディア、情報拡散されやすい時代です。

特に珍しいことであれば、なおさらニュースになります。

とある元検察官様が禁固刑になったとありましたが、このことから、なお一層、職業ドライバーに対して厳しい目が注がれると言おうことでもあります。

 

不平不満を挙げればきりがありませんが、自分の仕事が価値あるものである。

集団社会への貢献であるという認識をもって仕事にあたってください。